お客様を感じよく見送る言い方。窓口時代に先輩から教わったこと

「三浦さん、いまのお客様の顔、最後に見た?」。
銀行の窓口に座って3か月ほどたった頃、隣の席の先輩に小声で聞かれました。

私はお客様に通帳をお返ししながら「ありがとうございました」と言い、目はもう次の伝票に向いていたのです。
言葉づかいは丁寧だったはずなのに、先輩には「言っただけ」に見えていました。

はじめまして、ビジネスマナー研修の講師をしている三浦佳奈子です。
地方銀行の窓口で5年、メーカーの役員秘書として12年働き、いまは中小企業の新入社員研修や電話応対研修を担当しています。

研修で「お客様をお見送りするとき、何と言えばいいですか」と聞かれることがよくあります。
この記事では、窓口時代に先輩から教わった見送りの基本と、場面ごとに使えるひと言をまとめました。
接客業の方はもちろん、来客対応のある事務職の方にも使っていただける内容です。

見送りのひと言は、思っている以上に記憶に残る

窓口の仕事は、手続きそのものが正確で早いことが大前提です。
それでも先輩は「お客様が覚えて帰るのは、最後の10秒のほうよ」とよく言っていました。

当時は半分冗談だと思っていたのですが、研修講師になってから、この話を裏づけるような研究があることを知りました。

終わり方が印象を左右するという研究

心理学者のダニエル・カーネマンらが1993年に発表した実験があります。
参加者は片方の手を14℃の冷たい水に60秒浸し、もう片方の手では同じ60秒のあと、水温を15℃までゆっくり上げながらさらに30秒浸しました。

どちらをもう一度やるか選んでもらうと、32人中22人が長いほうを選びました。
冷たさに耐える時間は長いのに、終わり方が少し楽だったほうを「ましだった」と記憶していたわけです。

これは痛みや不快さの記憶を調べた実験なので、接客にそのまま当てはめることはできません。
ただ、同じ時間を過ごしても、最後の場面が思い出し方に影響するという考え方は、見送りを大事にする理由として納得できるものでした。

形だけの「ありがとうございました」は伝わらない

文化庁の敬語の指針には、接客の場面を例にした、こんな一文があります。

敬語の使い方に問題はなくても,お客の顔を全く見ないまま接客を済ますなど,態度が言葉を裏切っている大人も世の中には少なくない。形だけの敬語では,敬意は伝わらない。

これを初めて読んだとき、窓口1年目の自分のことだと思いました。
「ありがとうございました」という言葉は正しくても、顔を見ずに言えば、お客様には次の作業のついでに聞こえてしまいます。

別れ際の数秒は、マナーの本でも大事にされている

最後の数秒が印象を左右するという話は、マナーの本でもよく取り上げられています。

研修の準備で、見送りの言い方を見直したいときに手に取っているのが、諏内えみさんの『大人がしている 気くばりのある話し方』です。
2026年9月に明日香出版社から出た本で、「こんなとき、何と言えばいい?」に答える101の項目が並んでいます。

第7章の目次には「別れ際の5秒は、名刺よりも強い」「エレベーター前の沈黙を制する戦術」「帰らない客、どう送り出す?」といった項目があります。
窓口と秘書の仕事で私がつまずいた場面が、そのまま見出しになっているような章です。

窓口の先輩に教わった、見送りの基本

先輩から教わったことは、どれも特別な言葉ではありませんでした。
覚えてしまえば、明日からすぐに使えるものばかりです。

手を止めて、顔を上げてから言う

先輩の最初の教えは「見送るあいだは、手を止める」でした。
キーボードやペンから手を離し、お客様の顔を見てから「ありがとうございました」と言います。

窓口が混んでいる日ほど、つい次の準備をしながら言いたくなります。
でも、手を止める時間はほんの2、3秒です。
その数秒で、お客様は「自分のために言ってくれた」と感じてくださいます。

言葉が先、お辞儀はあと

2つめは、言葉とお辞儀を同時にしないことです。
頭を下げながら話すと声が下に向かい、語尾が聞き取りにくくなります。

  • お客様の目を見て「ありがとうございました」と言い切る
  • 言い終えてから、ゆっくりお辞儀をする
  • 頭を上げたら、もう一度お客様の顔を見る

マナー研修ではこの順番を「語先後礼」と呼んでいて、私もいまの研修で必ず練習してもらっています。

「ありがとうございました」に、ひと言だけ添える

3つめが、見送りの言葉にひと言を足すことです。
先輩はお客様によって「雨、強くなってきましたね」「お孫さんによろしくお伝えください」と、自然に言葉を変えていました。

文化庁の報告書分かり合うための言語コミュニケーションでも、親しさを表す工夫として「いつも使っている定型の挨拶にちょっとした一言を添えたり,相手の名前を交ぜて話し掛けたりする」ことが挙げられています。
同じ報告書が紹介している平成28年度の国語に関する世論調査では、「挨拶の言葉だけで十分だと思う」と答えた人が25.0%だったのに対し、相手を気遣う言葉や季節の言葉などを加えたほうがいいと答えた人は57.6%でした。

名前を呼ぶのも、窓口ではすぐにできる工夫です。
番号札でお呼びしたお客様でも、お手続きが終われば伝票でお名前がわかります。
「田中様、ありがとうございました」と名前を添えるだけで、お客様がふっと顔を上げてくださることがよくありました。
大勢のお客様のなかの1人ではなく、自分に向けた言葉だと伝わるからだと思います。

土台になる言葉は、やはり感謝です。
文化庁の令和6年度「国語に関する世論調査」では、注文品を届けてくれた配達の人に最後にかける言葉として、「ありがとう(ございました)」を選んだ人が70.0%で最も多くなっていました。
「ありがとうございました」で締め、その前か後にひと言を添える形がいちばん使いやすいと思います。

場面別・見送りのひと言

添えるひと言は、そのときの状況から選びます。
窓口と秘書の仕事でよく使っていた言い方を表にまとめました。

場面見送りのひと言の例
雨や雪の日「お足元の悪い中、ありがとうございました。どうぞお気をつけてお帰りください」
暑い日・寒い日「外はまだ暑いので、どうぞお気をつけて」
初めてのお客様「本日はありがとうございました。わからないことがあれば、いつでもお電話ください」
いつも来てくださる方「〇〇様、いつもありがとうございます。また来月お待ちしております」
ご高齢のお客様「お荷物、お忘れ物はございませんか。お気をつけてお帰りくださいませ」
大事なお手続きのあと「大切なお手続きをお任せいただき、ありがとうございました」

ポイントは、お客様がその日に困ったことや、これから向かう先を思い浮かべて言葉を選ぶことです。
全部を覚える必要はなく、自分の職場でよくある場面を2つか3つ決めておくだけで十分です。

お待たせしたお客様・手続きが終わらなかったお客様

月末や年金の支給日の窓口は、どうしてもお客様をお待たせしてしまいます。
そんな日は、見送りのときにもう一度お詫びと感謝を伝えるよう教わりました。

「本日は長くお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。お時間をいただき、ありがとうございました」

書類が足りず、手続きがその日に終わらないこともあります。
このときは「お手数をおかけします」で終わらず、次に何をすればいいかを一緒に伝えます。

「印鑑をお持ちいただければ、次回は10分ほどで終わります。お手数をおかけしますが、お待ちしております」

次の見通しがわかると、お客様は不安を抱えたまま帰らずにすみます。

ご意見やお叱りを受けたあと

窓口では、お叱りを受けることもあります。
新人の頃の私は、最後まで「申し訳ございませんでした」を繰り返して見送っていました。

先輩のやり方は違いました。
お詫びをしたあと、最後は感謝で締めるのです。

「このたびはご不便をおかけし、申し訳ございませんでした。気づかせていただき、ありがとうございました」

お詫びで終わると、お客様にも重い気持ちが残ります。
感謝で締めると、ご意見をくださった方として見送ることができます。

見送りで気をつけたい言葉づかい

丁寧に言おうとするほど、かえって伝わりにくくなる言い方もあります。
研修でよく直す2つを紹介します。

「させていただく」を重ねない

「本日はご来店いただきまして、お手続きをさせていただき、ありがとうございました」。
このように、ひとつの文に丁寧な言葉を重ねると、何にお礼を言っているのかがぼやけます。

敬語の指針では、「させていただく」は相手の許可を受けて行い、そのことで恩恵を受けるときに使う形だと説明されています。
見送りでは、「本日はありがとうございました」と短く言い切るほうが、気持ちがまっすぐ届きます。

ちなみに「ご利用いただき、ありがとうございました」と「ご利用くださり、ありがとうございました」で迷う方もいます。
敬語の指針では、どちらも「ほぼ同じように使える敬語」とされているので、言いやすいほうで大丈夫です。

丁寧すぎると、距離ができる

国立国語研究所の「ことば研究館」の接客の言葉づかいについての解説では、接客場面は「最も繊細に気をつかう状況の一つ」と書かれています。
そのうえで、敬語のような「遠い言葉」はかしこまった丁寧さに、「近い言葉」はうちとけた親しさに向いていると説明されていました。

窓口に置き換えると、迎えるときと手続きの説明は遠い言葉、見送りでは少しだけ近い言葉を足す、という使い分けになります。
「ありがとうございました」はきちんと言い、そのあとに「雨、やみそうでよかったですね」と添える。
先輩が自然にしていたのは、まさにこの形でした。

秘書になって増えた、エレベーター前と帰らないお客様

役員秘書になると、見送りの場所はカウンターから応接室の外へと広がりました。
窓口では経験しなかった場面で、何度も言葉に詰まりました。

エレベーター前の数十秒

いちばん困ったのが、エレベーターを待つあいだの沈黙です。
ボタンは見送る側が押し、エレベーターが来るまでお客様と並んで待ちます。

この時間には、会議の中身ではなく、相手を気づかう短い話題を選ぶようにしていました。
「今日はこのあと社に戻られるんですか」「駅までの道、わかりにくくなかったですか」くらいの話で十分です。
扉が開いたら「本日はありがとうございました。こちらで失礼いたします」と言ってお辞儀をし、扉が閉まるまで頭を上げずにいました。

話が終わらないお客様

もうひとつ難しかったのが、用件が済んでもなかなか帰られないお客様です。
「そろそろ」と言えば角が立ちますし、黙っていれば次の予定に遅れます。

私は、次の予定があることを先に伝え、そのうえで感謝を言うようにしていました。

「申し訳ございません、このあと〇〇が別の打ち合わせに入る予定でして。本日は遠いところをありがとうございました」

まとめ

お客様の見送りで大切なのは、難しい敬語よりも、最後の数秒をお客様のために使うことです。

  • 手を止めて、顔を上げてから「ありがとうございました」と言う
  • 言葉を言い終えてから、お辞儀をする
  • その日のお客様に合わせて、ひと言だけ添える
  • お詫びをしたあとも、最後は感謝で締める

窓口の先輩が教えてくれたのは、言葉の正解というより、お客様をきちんと見る習慣でした。
私自身、最初からできていたわけではありません。
まずは明日の見送りで、手を止めて顔を上げるところから試してみてください。